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ダメな母ちゃんの道

河内長野市から紀見トンネルを抜けて
橋本市に至る細い国道。

この道を車で走っていると
いろんなことを思い出す。

長女が10か月の時から3歳まで
チャイルドシートに乗っけて
毎日毎日一緒に通った時のこと。

橋本市には当時、0歳児保育がなくて、
職場の近くの保育園まで連れて行ってた。

通勤時間は保育園経由で
約2時間弱…💦

朝…6時過ぎに、まだ赤ちゃんの
長女を乗せて出勤。

車の中で、顔を拭いて、
朝ごはんを食べさせて、
歯磨きをさせるという
とんでもない生活…。

仕事でクタクタに疲れて、
保育園に迎えに行って、
また長い道のりを帰ってくる。

なっちゃんがぐずり出すことも
しょっちゅうあって、
童謡のカセットテープをエンドレスで
かけて、大きな声で歌いながら運転した。

それでも、泣き止んでくれなくて
しんどくて、情けなくて、
娘にこんな生活させている自分が
とっても悪い母親のような気がして
歌いながら泣いていたっけ…。

次女の時は、
1歳の誕生日から4月まで
保育園に入れられなくて、
ツテにツテをたどって、やっとやっと
見つけた、職場近くの個人のお家で
預かってもらってた。
だから、次女も3か月だけ、
わたしと一緒に出勤の日々を送った。

4月からは、橋本市の保育園に入園。
私のクラスに、ヤンチャなお嬢さんがいて
しょっちゅう家庭訪問してたので
たびたび、お迎えの時間に遅れてしまって
電話で保育園に連絡して
お迎えに行って、
いつも保育士さんに謝ってた。

でも、次女について思い出すのは
やっぱり、実家の母が亡くなってからのこと。

わたしの帰りが遅くなる時は
はあちゃんが、夕食持って
ゆうりの様子を覗きに行ってくれてたけど
ばあちゃんがいなくなってからは
ゆうりは毎日ひとりで、
夕食をチンして食べて、
わたしの帰りを待ってた。

それなのに、わたしはその時
ものすごく荒れた学年を担当してて、
帰宅するのが、11時なんてことも
珍しくない毎日だった。

学校をでて、車に乗った途端に
いつも「あぁ、また、ゆうりをこんな時間までひとりで待たせてしまった」
と思った。帰りの車に乗るまで
娘のことは、気になりながらも
頭の片隅に無理に追いやってた。

帰り道は車を運転しながら、
家で待ってる娘のことを
思っては、自分を責めていた。

だから、この道を車で走っていると
昔のことを思い出して、
ときどき泣きそうになる。

この道は「ダメな母ちゃん」を
いつも感じながら通った道だから…。


ありがたいことに
二人の娘は、横道にもそれず、
ちゃんと育ってくれた。

二人とも、自分の人生の道を
ちゃんと自分で選んで
しっかり歩いてくれている。

わたしは、それが何よりうれしい(*^^*)


ダメな母ちゃんの道_e0251855_19485818.jpg

by mangolove | 2014-08-13 18:47 | むすめ | Comments(0)

2015年春。沖縄県の宜野座村という村に移住。日々の雑感をきままにつづります。


by mangolove
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